朝、寝ていた昌浩は、日課のように彰子に起こされる。
「ん〜……」
「起きて、朝餉の支度が出来たわよ」
眠気に勝てず起きようとしない昌浩に、彰子は更に言った。
「う…ん……、って彰子!?」
毎朝のことなのに、昌浩が彰子に驚くのは、何故なのだろうか。
目を覚ました昌浩は、彰子に気付くと飛び起きた。
現在、昌浩が着替える為、昌浩を起こした彰子は今は既にいなかった。
今日も出仕か。
……否、当たり前だけど。
昌浩はフゥと溜め息を吐きながら着替えを進める。
「大丈夫か?昌浩」
物の怪は、そんな昌浩を見て問う。
「何、もっくん?大丈夫だよ」
そう言って笑った顔は、辛さを押し殺したかのような、作ったかのような表情だった。
先日、昌浩は妖と闘い、深い傷を負った。
その時、物忌みを終えたばかりだった昌浩は、致し方なく病と偽り出仕を幾日か休んだのだ。
病といえば病なのだが、病気ではなく怪我。
正直に言えば、何故そんな怪我を負ったのかと聞かれるだろう。
昌浩の実力を隠している今、言う訳にはいかなかった。
そんな訳で、またしても病弱説が信憑性を増したのだが、それは今は置いておこう。
問題なのは、陰陽生だ。
直丁が休み、その直丁の仕事が自分たちに回ってくるのだ。
恨みを買ってしまうのも頷けなくはない。
そう、昌浩が溜め息を吐く理由はそれなのだ。
出仕を再開してから、出会う度に言われる嫌味。
押し付けられる仕事。
呼び出して、なんてのもあった。
ストレスも溜まるというものだ。
たしかに、陰陽生たちの行為は褒められたものではない。
だが、元を辿れば、ぞれは昌浩が出仕を休んだからであって。
でも、更に大元を辿れば、昌浩が怪我をするのは、役に立たない陰陽寮のせいと言っても過言はない。
「なんか、納得いかない気がするんだよね」
ポツリと口に出した昌浩に、物の怪は聞き取れなかったのか聞き返す。
「……?なんか言ったか?」
「うぅん、なんでもないよ」
昌浩は、笑顔で返したのだった。
「直丁殿、ちょっと宜しいかな?」
出仕の真っ最中、仕事に追われていた昌浩は、陰陽生に呼ばれた。
「……はい」
昌浩は嫌な予感がしたものの、断われる筈もなく、応と答えるしかなかった。
陰陽生についていくと、段々と人通りが少なくなっていくように感じた。
そうして辿り着いた部屋には、幾人かの陰陽生が待ち構えていたのだ。
予感が当たった。
そう思い、内心溜め息を吐きたくなった昌浩だが、そんなことをしたら更に反感を買うだろう。
溜め息を堪えて陰陽生たちに向き直った。
「何か、御用があるんですよね?仕事がまだ残っているので、早く済ませて下さると助かるのですが」
何も気付いていないかのように、話し掛ける。
すると、陰陽生たちは不満を露わにしてきた。
「そうか、晴明様のお孫殿は、まだ仕事が終わっていないのか。少し、仕事が遅いのではないかな?」
「安倍の方たちを見習ったほうが、宜しいのではないか?」
「まったく、君が晴明様の孫だなんて、信じられないな」
「私は安倍の者だということも信じられないがな」
つらつらと不満を述べる陰陽生たちに、昌浩は何も言わない。
出仕を休んだ自分が悪いのだから、と自らに言い聞かせているのだ。
昌浩が堪えていると、陰陽生たちは満足したのか、散々嫌味を言った後、去っていった。
「……昌浩、蹴り飛ばしていいか?」
「………………駄目」
怒りを堪えていたらしい物の怪は、昌浩に聞くが、そう言われては仕方がない。
だが、いつもは即答するのに、今日は間があったのは、昌浩も苛ついているからなのだろうか。
「さて、もっくん、行こうか」
仕事しなくちゃ、と言って物の怪を抱き上げる。
と、そこで昌浩と物の怪は異変を感じ取った。
「何か、来てる――」
「あぁ、これはへなちょこ陰陽生なんかじゃ倒せないな」
「もっくん、行こう!!」
そう言って、昌浩は走り出した。
辿り着いたそこには、陰陽生や上の方たちが妖を見て慌てふためいていた。
先程、昌浩に嫌味を言っていた者たちもいる。
そして、成親も。
「昌浩!」
「兄上、来てたんですか」
昌浩に駆け寄ってきた成親に、昌浩は言う。
「あぁ、一応な」
そして、妖の方を見る。
力のある者たちは、妖を調伏しようと対峙していた。
だが、明らかに力不足だ。
全然効いてないのがわかる。
倒せそうにないと見ると、誰かが言い始めた。
「誰か、晴明様をお呼びしろ」
「そうだ、晴明様を――」
それに同調した人々は、口々に言い始めたのだ。
昌浩は呆れた。
何故、そうすぐに人に頼ろうとするのか。
自分で倒そうとは思わないのか。
「……兄上、助けに入らないんですか?」
「そうだなぁ、おまえこそ行かないのか?おまえならすぐ終わるだろう」
「でも……」
本心を言うと行きたい。ストレス発散できるし。
だけど、後でじい様になんと言われるか――。
昌浩が躊躇っていると、聞き覚えのある声が聞こえた。
「オンアビラウンキャンシャラクタン!!」
そちらに顔を向けると、妖と対峙しているのは敏次だった。
晴明を呼べと慌てふためいている者たちとは別に、彼は妖を倒そうと頑張っていたのだ。
「敏次殿!」
思わず昌浩が声を上げると、それに気付いた敏次は言った。
「その声は……昌浩殿か!君はまだ何の術も使えないのだから、危ないから下がっていたまえ!」
「敏次殿……」
自分を心配してくれている。
自分には、その妖を倒せる力があるというのに。
昌浩は、自分の為を思って言ってくれているのだろう、敏次の言葉が嬉しかった。
「兄上、俺行ってきます」
「そうか、一応気をつけろよ」
大して心配していないように聞こえるのは、気のせいだろうか。
そう思いながらも、昌浩は走り出した。
もう少しで辿り着くという、その時だった。
「危ない!!」
誰かの声がした。
敏次のすぐそばまで妖が接近していたのだ。
敏次は、術を唱えようとするが、間に合わない。
「――禁!!」
妖は、突然敏次の前に出来た障壁に、弾き飛ばされた。
敏次は、訳がわからなかった。
自分は術を唱えていない。
聞こえたその声は、誰のものだった――?
「敏次殿、大丈夫ですか?」
「昌、浩殿……?」
声の持ち主は、昌浩だったのだ。
晴明の孫とは言っても、まだ何の術を覚えていない筈の、ただの直丁。
その筈だったのに――。
「危ないので、少し下がっていてください」
そういうと、昌浩は妖し向き直り、対峙した。
「オンアビラウンキャンシャラクタン」
昌浩の口が発したのは、敏次が先程唱えたものと同じ。
だが、効果の違いは明らかだった。
「ナウマクサンマンダボダナン、ギャランケイシンバリヤハラハタジュチラマヤソワカ」
この凄まじい霊力は何だ。
まだ何もできない、ただの直丁だと思っていたのに。
敏次だけではない、その場にいた誰もがそう思った。
「大丈夫かい?敏次殿」
「成親様、私は大丈夫です。あの、昌浩殿は……」
「昌浩なら、大丈夫だよ。なんと言っても、おじい様の後継だからね」
「昌浩殿が、晴明様の、後継……?」
「あぁ、だからあれくらい、昌浩には簡単に倒せるんだよ」
そう言って昌浩のほうを見る成親に釣られて、敏次も昌浩を見る。
「臨める兵戦う者、皆陣敗れて前に在り!」
ちょうど、昌浩が妖を倒したところだったようだ。
とことこと歩いてこちらに来る昌浩を、敏次は呆気に取られた様子で見ていた。
「兄上、終わりました」
「あぁ、怪我はないか?」
「ある訳ないじゃないですか」
などと、昌浩と成親は呑気に話していたのだ。
「昌浩殿、これは一体……」
敏次の声に、昌浩は振り返る。
えぇと、どうしようかな……。
もしかして、説明しろとか言われたりする?
――面倒くさい。
ストレスは発散できた。
先程自分に嫌味を言ってきた陰陽生の鼻もあかせたことだし。
「兄上」
昌浩はにこりと笑って成親を見る。
「なんだ?」
「後は、お願いします」
「はッ?」
深々と頭を下げた昌浩は、きびすを返すと足早にその場を立ち去ったのだ。
後に残された成親は、皆に説明を求められ、自分も逃げたいと本気で思ったらしい。
2007.03.移転に伴い一部修正しました。