「なんで……ッ。なんで、紅蓮がこんな怪我しなきゃならないんだよッ!!」
「昌浩……怪我、してないか?」
そう言って、騰蛇は昌浩の頬にそっと触れる。
「なんで、俺なんか庇うんだ!本当だったら、俺が怪我する筈だったのに」
昌浩は、何かに寄り掛からずには立っていることさえまともにできない騰蛇を見て、泣き叫ぶ。
騰蛇は、酷い怪我を負っていた。
彼らが闘っていた妖は、遥かに強大な力を持っていたのだ。
それも、それに従う妖が大量にいた。
不意打ちで強い攻撃が来たのを避けられず、強く目を瞑った昌浩が次の瞬間見たものは、咄嗟に昌浩を庇って大怪我を負った騰蛇の姿だった。
すぐにでも騰蛇の傍に行きたかった昌浩は妖に阻まれたが、根性で全ての妖を叩きのめしたのだ。
そして、ずるずると座り込む騰蛇に駆け寄って、その怪我の酷さに愕然としていた。
「昌、浩……」
「ねぇ、死なないよね――?死んだりなんか、しないよね!?」
「……」
昌浩を呼ぶ騰蛇に、ただ問い掛けるしかできない。
騰蛇は、取り乱す昌浩に何も返すことができなかった。
何を言えるというのだろう。
騰蛇は自分が負ったこの傷が、治るモノではないと知っていた。
唯一愛しいと思える存在を残して、逝ってしまわねばならないと、気付いていたのだから。
「嫌だよ、紅蓮。俺を、置いて逝かないで……」
幼い子供のように泣きじゃくる昌浩を、騰蛇は沈痛な面持ちで見つめる。
置いて逝かねばならない哀しみと、置いて逝かれる哀しみ。
どちらがより辛く、どちらがより哀しいのだろう。
比べる事などできない。
どちらにしても、何よりも辛く、何よりも悲しいのだから。
昌浩は、未だに泣きじゃくったままだ。
騰蛇は、それを見ているしかできない自分を不甲斐なく感じていた。
「ごめんな、昌浩。俺は、お前の傍にいると誓ったのに」
「……、紅蓮?」
僅かな沈黙を破り、騰蛇は昌浩を強く抱き締めた。
「ずっと、傍にいたかったのに……」
「……」
「もう、お前の傍にはいられないんだ」
抱き締めている腕の力強さとは裏腹に、その声は随分と弱々しいものだった。
「嫌だよ、紅蓮……俺、独りじゃ駄目だよ。紅蓮がいなきゃ、駄目なんだ」
「昌浩……」
「俺を、独りにしないで……」
困ったような様子で騰蛇は言うが、それでも昌浩は言わずにはいられなくて、泣きながら言葉を紡ぐ。
騰蛇はそんな昌浩を見て辛そうな顔をするが、一度目を瞑ると、意を決したように話し出す。
「昌浩、よく聞け」
「紅蓮?」
「俺は、もう助からない。俺とは別の、新しい騰蛇が誕生するだろう」
昌浩の、紅蓮に触れるその手に、ギュッと力が入る。
「でもな、心だけは……お前を愛した、この心だけは残るから。残していくから……」
昌浩を抱く腕を緩めると、顔を見つめながら微笑む。
「だから、笑ってくれないか?最後に見るのは、お前の笑顔がいい」
「……ッ」
優しい笑顔に、昌浩は何と返せば良いのかわからずに、言葉に詰まる。
そして、一度目を瞑り、涙を堪えると、ふわりと微笑んだ。
「紅蓮、大好きだよ」
騰蛇は驚きに軽く目を見張ると、嬉しそうに笑い、昌浩にそっと顔を近付けた。
昌浩も近付いてくる騰蛇を認め、そっと目を閉じる。
交わしたのは、涙の味のする、短い口付け。
「昌浩、愛してる」
幸せそうに笑って、それから目は閉じられた。
それは二度と開けられることなく、そうして騰蛇は逝ったのだ。
昌浩はそれを認め、涙を零さぬよう上を向き、一言呟いた。
「うん、俺も愛してるよ」
言い終えた瞬間、騰蛇は消滅した。
堪えた涙は、それを見て、一筋だけ零れた。
そして、消滅した瞬間その場に生じた存在。
姿形の異なる存在。
それが目を開いた時、昌浩は微笑んで言った。
「始めまして、新たなる十二神将、騰蛇」
「いってきます」
そう言って、制服を身に付けた彼は家を出た。
そして、高校へと続く、通学路を歩き始める。
彼には、生まれるより前の記憶があった。
所謂、前世というやつだ。
彼の名は、安倍昌浩。調べれば安倍晴明という祖先に辿り着く。
だが、前世であった安倍昌浩の子孫ではない。
昌浩は、独身のまま生涯を終えたから。
紅蓮という二つ名をもった騰蛇を亡くした後も、ずっと騰蛇だけを愛し続けたから。
そう、生まれ変わり、違う人生を歩んでいる今も。
心だけは、この胸に今も残っているから――。
昌浩は立ち止まると、そっと胸に手を添える。
「俺も、愛してるよ」
あの時、返せなかったその言葉を小さく紡ぐ。
暫し立ち止まったままだった昌浩は、学校へ行く為に、再び歩き出す。
「昌浩」
ふと後ろから声をかけられた。
昌浩は、ぴたりと足を止める。
その声は、知っているようで、知らないような。
そんな声音だった。
だって、それはよく知っている筈の声なのに、それでも何処か違う。
聞きなれた声よりも、それは随分と高い。
それでも、その声を昌浩はよく知っている。
そんな筈はないと思いながらも、昌浩は半信半疑で振り返る。
そこにいたのは、自分よりも小さい、中学生だった。
赤茶の髪と眼の少年。
色彩は違うけれど、その容姿は、昌浩がよく知るものだった。
愛する者を、幼くしたような、そんな姿。
「紅蓮」
昌浩の口から、呆然と言葉が漏れた。
それを聞いて、少年は口を開く。
「蓮だよ」
「え……」
「紅野蓮。それが、俺の今の名前」
「今の、名前……?」
震える声で、昌浩は聞き返す。
「うん……」
蓮と名乗った少年は微笑みながら、目を少し伏せる。
昌浩は蓮をじっと見つめる。
確証のある一言が欲しくて。
蓮は、顔を上げると昌浩の目を見る。
「昌浩、愛してるよ。……やっと会いに来られた」
そう言って、少し泣きそうな表情で微笑んだ。
それを聞いた途端、昌浩の目から涙が溢れた。
涙は止まらなくて、後から後から流れてくる。
「紅蓮、なの?」
「あぁ……」
瞬間、昌浩は蓮を抱き締めた。
そうせずにはいられなかったのだ。
「俺も、愛してるよ。昔も、今も……」
やっと言えたと言いながら、蓮の目線に合わせる。
そして、昌浩は嬉しそうに微笑んで言った。
「おかえり、紅蓮」
蓮は、そっと昌浩を抱き締め返し、そして呟いた。
「ただいま」
もう独りにしないよ、と――。
2007.04.23.公開