この男、名を紅蓮という。
紅の髪をした、日本人らしくはないが、容姿の整った男だ。
この男は、毎日時計を見ては溜息を吐く。
なにやら、面倒を見ている子供のことが心配らしい。
保育園に預けてからここへ来るらしいが、仕事をしている間も心配で仕方がないようだ。
数分おきに時計を見ては溜息を吐くのだから。
周囲の社員が思うことは一つ。
心配なのはわかるけど、頼むからちゃんと仕事をしてくれ!!ということだ。
時計を見て、紅蓮はガタンと立ち上がった。
退社時間になったのだ。
「お先に失礼します!!」
鞄を引っ掴み、脱兎のごとく駆け出す。
そして、あっという間に見えなくなった。
あれだけ集中しないで、仕事は終わったのだろうか。
一人の社員が先程まで紅蓮が仕事をしていたデスクに近付き、仕事の終わり具合を見る。
「…………終わってる」
そう、紅蓮の本日のノルマは終わっていたのだ。
被害を受けたのは、紅蓮の溜息に邪魔をされた社員たち。
まだまだ仕事が残っている。
さぁ、今日も残業だ。
ここは、紅蓮の自宅と仕事場との間にある保育所。
そこに紅蓮はいた。
走って来たのか、彼の服装は随分と乱れていた。
切れた息を整えながら、目指す場所へとわき目も振らず向かう。
そこには、紅蓮が求める存在がいた。
黒い髪と、同じ色の大きな瞳。
それはとても可愛らしい、少女のような男の子。
紅蓮はその存在を認め、名を呼ぶ。
「昌浩!!」
「ふぇ?……あ、れーんだぁ」
紅蓮に気付き、無邪気な微笑みを向けてぽてぽてと駆け寄ってくる幼児は、まだ三、四歳くらいだろうか。
昌浩と呼ばれた子供は、転びそうになりながらも一生懸命に駆ける。
か……可愛い――!!
紅蓮はそんな昌浩を見て、鼻血を吹かんばかりだ。
自分の元へやっとこさ辿り着いた昌浩を抱き上げて、頬擦りをする。
「昌浩、元気だったか〜?」
「うん。きょうはねぇ、おえかきいっぱいしたんだよ!」
頬擦りされて嬉しそうに笑い声をあげ、一日の報告をする。
「そうかそうか、良かったなぁ」
そう返しながらでれでれとしている紅蓮の鼻の下は、伸びきっている。
造作の良い顔も台無しだ。
「ね、ぐれん、かえろ?」
「そうだな、帰るか」
そうして紅蓮と昌浩は、帰路に着いた。
何故、紅蓮が昌浩の面倒を見ているのか。
もちろん、昌浩は紅蓮の実子ではない。
紅蓮には姉がいる。
その人こそが、昌浩の母親であった。
だが、彼女は今、病院にいた。
昌浩の父親は、交通事故で亡くなった。
新婚で、子供も生まれて幸せの絶頂だった筈の彼女は、足元が崩れるかのようなショックを受けただろう。
そのショックからか、精神を病み、病院生活を余儀なくされた。
焦点の合わない目で前を見つめたまま、何の反応も示さなくなってしまったのだ。
そんな状態で昌浩を育てられる訳もなく、紅蓮が育てる事となった。
育児などしたことのない紅蓮には、大変なことだっただろう。
しかし、挫けそうになる度に昌浩の笑顔に癒され、励まされ。
今では親バカの如く、ただの昌浩バカになっていた。
「あにょね、ぐれん、これあげゆ〜」
家に帰り、リビングで寛いでいると、昌浩がなにやら紙を差し出してきた。
「ん……?何をくれるんだ?」
紅蓮はその紙を受け取る。
そこに描かれていたのは――。
なんだ、これ……。
所詮は幼児が描いたもの。人らしきものであることしかわからない。
「昌浩、これは?」
「んっとね、せんせぇがだいすきなひとをかきましょうってゆったから、ぐれんかいたんだよ!」
ということは、この人らしき絵は紅蓮だということだ。
大好きな人。
昌浩は今、大好きな人を描いたって、言ったか?
そして、これは俺なのだと。
あぁ、生きてて良かった……。
紅蓮は嬉し涙を流しながら、心底そう思ったらしい。
「昌浩、ありがとうな」
そう言って、紅蓮は昌浩の頭を撫でる。
「えへへ、ぐれんだいすき〜」
「あぁ、俺も昌浩が大好きだぞ」
嬉しそうに言った昌浩に、紅蓮も嬉しそうに笑って返した。
時刻は七時過ぎ。
「うにゅ〜……」
食事を済ませ、風呂に入った昌浩は、眠そうに目を擦っていた。
そんな昌浩を見て、紅蓮は優しく声を掛ける。
「そろそろ寝るか、昌浩?」
「…………れ〜んもいっしょ?」
昌浩は甘えたような口調で問い掛ける。
身悶えそうな程可愛い昌浩に逆らえる筈もなく、
「もちろんだとも!」
と、またしてもでれっとした顔で返した。
「じゃあ、ねりゅ〜」
言いながらも既に舟をこぎ始めている昌浩に苦笑する。
そして昌浩を連れて寝室へと向かった。
――おやすみ、昌浩――
後には、穏やかな寝息だけが聞こえていた。
2007.06.23.公開