今、昌浩が立っているのは、祖父である晴明の自室の前だ。
顔を上げ、声をかけようとし、そしてそれを躊躇う。
昌浩は、それを繰り返していた。
だが、いつまでもそのままでいられる筈がなかった。
ごくりと息を呑むと、口を開く。

「じい様」

緊張しているためか、硬い声が小さく響いた。

「おぉ、昌浩か。入りなさい」
「……はい、失礼します」

聞こえた声に一度目を伏せると返答し、意を決して、昌浩は部屋に入った。
室内にいたのは、晴明と白い生き物――物の怪だった。
昌浩は息を呑んだ。
晴明と物の怪は、そんな昌浩を静かに見ている。
やはり予感は的中してしまったのだろうか。
どうしよう。どうすれば、いい――?

「昌浩や、そんな所に立っていないで座りなさい」

どうすることもできなくて立ち尽くしていた昌浩に、晴明が声をかける。

「……。は、い……」

詰まりながらもそう答え、昌浩は晴明の向かいに正座した。
晴明はそれを認めると、それから口を開いた。

「昌浩」
「……はい」
「そんなに硬くなるでない」
「…………」

そうは言われても、力を抜ける訳がない。
昌浩は、緊張した面持ちのまま、沈黙を返した。
晴明も、物の怪も、口を開かないまま。視線だけが、昌浩を捉えていた。
緊迫した空気が漂う。
昌浩は、そんな空気に耐えきれないかのように、視線を下げた。

「星が、動いたんじゃよ」

そんな昌浩を見かねてか、ふと晴明が口を開いた。

「否、新たな星が生まれた、と言った方が正しいか」
「……ッ」

昌浩は息を呑んだ。
そして面を上げ、晴明を見る。

「……?晴明、何を……」

物の怪は意味がわからずに、晴明に問う。
だが、晴明はそれには答えず、話を続ける。

「なぁ、昌浩や。己が内に秘めた真実を、打ち明けてはくれぬか?」

そう、昌浩に問いかけるのだ。
じい様は、気付いている。
気付いてしまったんだ。俺が隠し通そうとしたことの、全てを――。
でも――。
昌浩は、首を振る。
言えないよ……。
打ち明けてしまいたいのに、でも、やっぱりまだ怖いんだ。
心が相反して、どうしていいか、わからない――。
その表情は何処か苦しそうで、今にも泣き出しそうだった。
昌浩は自らを抱き締めて、首を振り続ける。
ごめんなさい、じい様。
言えなくて、ごめんなさい……。
ごめんね、もっくん。
心がぐちゃぐちゃで、もうどうしたらいいのか、わからないよ――。




ふいに、温もりを感じた。
なに?とても、温かい……。
これは、誰の温もり――?




「昌浩」
「……、ぐれん?」

気付くと、昌浩は騰蛇の腕の中にいた。
いつの間にか本性に戻っていた騰蛇に、抱き締められていたのだ。

「無理に言わなくていいんだ。……おまえが言いたくないのなら、言わなくていい」

騰蛇が、強く、優しく囁く。

「紅蓮……」

騰蛇の言葉が、昌浩の胸に響く。
堪えた涙が、溢れそうになった。

「昌浩や」

声をかけられ、昌浩は晴明のほうを向く。
今の昌浩の心には、先程よりは余裕ができていたのか、素直に顔を上げる事ができた。

「じい様はな、反対するつもりはない。ただ、打ち明けてくれなかったことが、悲しくて仕様がないのじゃよ」

話しては、くれぬか?
そう、晴明は言った。

「……ッ」

涙が出た。
堪えていた涙が、後から後から、流れ出してくる――。




「……だって、怖かったんだ。言ったら、皆は、じい様は……紅蓮はどう思うのかって考えたら、怖くて仕方がなかった。
どうしていいかわからなくて、隠すことしか、思い浮かばなかった……ッ」

昌浩は、堰を切ったように口を開く。
騰蛇は、昌浩を抱き締めたまま。
晴明は微笑んで、それを聞いている。

「ねぇ、じい様……」
「なんじゃ?」
「本当に、反対しないの?」
「勿論じゃ」
「……俺、この子を産んでも、良いの……?」

そう昌浩が言った途端、騰蛇の身体が止まった。

「え……?」

騰蛇は、困惑したように呟く。

「ぁ……」

昌浩はその呟きに、ハッとしたように口を噤む。

「どういうことだ、昌浩?」
「えっと、その……」

昌浩は、言いよどむ。
今まで隠し続けてきた事実を、そう簡単に言えるものではない。
そうして黙っていると、騰蛇は躊躇いがちに問い掛ける。

「教えて、くれるか……?」
「……あのね、子供がいるんだ」

昌浩も、躊躇いがちに口を開く。

「子供って……何処に……」
「……ここに……」

頬を染めながら、昌浩は腹部に手を添える。

「…………誰の?」
「紅蓮の、じゃな」

何故か、晴明がその問いに答える。
その答えを聞き、騰蛇は放心したようにしばし無言になると、昌浩の肩を掴んだ。

「昌浩、本当なのか?」
「え、う、ん……。紅蓮は、嬉しくない……?」

昌浩は、躊躇いがちに聞く。

「え?」
「産んだら、駄目かな?」

騰蛇は、驚いたような表情になり、それから微笑む。

「なんで駄目なんて言わなければならないんだ?」
「じゃあ、産んでも良いの……?」
「当たり前だ」

そう言って、騰蛇は昌浩を抱き締める。
昌浩は驚き、そして、一度は止まった涙がまた溢れるのを感じた。
最も恐れていたことが起きなかった。
その安堵と喜びから、昌浩は心から微笑んだ。
騰蛇の胸の中で、止まる事のない涙を流しながら――。







「――昌浩、頑張って!!」

遠くで、彰子の声がする。

「昌浩!」

紅蓮の声も、聞こえる――。

苦しくて、痛くて。
耐えられないくらい、辛い。
でも、頑張らなきゃ。
後、少し……。

「――――ッ!!!!」

ふっと、力が抜けた。
あぁ、聞こえる。
新たな生命を伝える声が。

『胡蝶蘭』
幸福の飛来――。




大変長らくお待たせしました。
『胡蝶蘭』完結編です。
続きが書けなくて、書けなくて。泣きそうでした。
拍手で『胡蝶蘭』に関するメッセージをたくさん頂きました。
本当に、ありがとうございました。
2008.03.31.公開

明らかに文章がおかしい事に気付いたので、いつか加筆修正します 泣