「昌浩、何か悩み事でもあるの……?」
「え…何が?」
昌浩はきょとんとした様子で問い返す。
「何がじゃないでしょう?ため息ばかり吐いて」
「それは……」
彰子が言うと、昌浩は何かを言いかけ、少し頬を赤らめて俯く。
何もない訳がなかった。
「本当にどうしたの?」
「いや、何もないから気にしないでいいよ」
困ったような昌浩に、彰子は畳み掛けるように言い返す。
「そんなこと言ったって、昌浩の様子が可笑しいことくらい私にだってわかるわ。
それとも……私なんかには相談できない?」
今にも泣きそうな顔で俯く彰子に、昌浩は焦る。
「わぁ、待って、そんなことないから。言うから!」
叫ぶように言い放った瞬間、彰子の口元が笑った気がした。
あれ――?
昌浩は疑問に思った。
何故、彰子は笑っているのだろうか?
今しがた、泣きそうな顔をしていたというのに。
そう、彰子は一瞬前までは確かに泣きそうな顔をしていたというのに、今は欠片もなかったのだ。
「本当?嬉しいわ、昌浩」
彰子はにこりと微笑む。
「……」
昌浩は諦めたように、またしても溜め息を吐いたのだった。
昌浩の自室。
二人はそこで向かい合って座っていた。
近くに物の怪はいない。
「あのさ、その……」
「……」
「えっと……」
昌浩は、彰子を前にして言いよどんでいる。
先程からこれの繰り返しだった。
最初は黙って聞いていた彰子も、さすがにこのままでは埒が明かないと思ったのか、口を開く。
「昌浩、いつまで話さないつもりなのかしら?」
脅し口調だったが……。
「え、いや……」
少し怖い笑みで言った彰子に焦ったのか、昌浩は話を進めた。
「彰子は、俺ともっくんが付き合ってること、知ってるんだよね?」
「知ってるけど、それが悩みの種なの?」
「うん……」
そして、昌浩は俯き加減に話し始めた。
付き合うことに対して抱いている不安。
自分は男で、女ではない。
本当に男の自分でいいのか。
付き合い続けていくうちに、嫌になったりしないか、等。
「俺、女だったら良かったのにね」
顔を上げた昌浩は、少し悲しげな、けれど無理やり作ったかのように微笑んでいた。
彰子は、昌浩のそんな顔を見ていたくないと思った。
ならば、不安を取り除けば良い。
それはわかっているのだ。
けれど、そんなことをできるのは、当の本人(人ではないが)しかいないではないか。
そう思ったところで彰子はふと気付く。
昌浩は、自分が女だったら良かったと言った。
根本的な解決にはならないけれど、キッカケくらいにはなるかもしれない。
そう考えた彰子は、ジッと昌浩を見る。
この顔だったら、全然いけるわよね……。
そして、俯いている昌浩に話しかける。
「ねぇ、昌浩。本当に女だったら良いと思う?」
「……?うん」
声をかけられて顔を上げた昌浩は、訳がわからないながらも頷いた。
そんな昌浩に、彰子は微笑んだ。
「じゃあ、一日だけでも女になってみない?」
次の日、またしても昌浩と彰子は、昌浩の自室にいた。
しかし、昨日と同じではない。
なんと、昌浩は女の格好をしていたのだ。
普段は結ってある髪を下ろし、彰子と同じような衣服を身に着けている。
別に本当に女だったなんて訳はない。
彰子に一日だけ女になってなんてみない?と言われて、了承したらこの格好。
化粧までされてしまった。
女装なんて初めてした。
心底似合わないのではないかと思う。
そして、こんな格好をして、いったい自分はどうすればいいというのだろうか。
「昌浩……」
彰子は少し驚いたような顔で話しかける。
「彰子、やっぱりこんな格好、俺には似合わないよ」
困ったように訴える昌浩に、彰子は呟く。
「似合うわね」
「は?どこが……?」
「似合わないなんてことはないだろうなぁとは思ったけど、ここまでだなんて……」
「な、何言ってるの?彰子」
一人でブツブツ言い続けている彰子に、昌浩は恐る恐る声をかける。
「昌浩」
「はい」
「あなた、女にしか見えないわ」
「……」
そう、女装した昌浩は女にしか見えなかった。
俺、一応男なのになぁ……。
昌浩はちょっと落ち込んだ。
「じゃあ昌浩、少し待っててくれる?」
「うん?なんで――?」
「もっくん呼んでくるから」
彰子の爆弾発言に、昌浩はぶっ飛んだ。
この格好を見せる?
それはちょっと、かなり恥ずかしい。
っていうか、嫌だ。
「待った、彰子。もっくん連れてこないで!」
「……それじゃあ女装した意味ないじゃない」
不満げな声を出す彰子は、初めから物の怪に見せる予定だったらしい。
昌浩は声を出すことが出来ずに、口をパクパクとさせていた。
と、そこに。
「昌浩、入るぞ」
物の怪が入ってきたのだ。
そして昌浩を見た途端、絶句した。
目が合ってしまった昌浩は、頬を紅く染め、恥ずかしそうに顔を逸らす。
奇妙な沈黙が漂う。
物の怪は驚きすぎて、昌浩は恥ずかしくて、それを破る事ができなかった。
彰子はそんな一人と一匹の様子を黙って見守っていたが、長く続く沈黙に痺れを切らしたのか、口を開く。
「昌浩」
「な、何…?彰子」
「私、部屋に戻るわね」
「え……」
立ち上がった彰子に、置いていかないでと目で語る昌浩。
彰子は困ったように笑むと、昌浩に言い聞かせるように言う。
「ねぇ、昌浩。私に言ったこと、もっくんにちゃんと言って?
一人で悩んでいるだけじゃ、何も解決しないわよ」
「……うん、わかってる」
彰子の意図が伝わったのか、昌浩は頷く。
そんな昌浩を見て微笑むと、頑張ってと言い、彰子は自室へと戻っていった。
彰子が去って、昌浩と物の怪は向かい合っていた。
硬直状態だった物の怪は、やっと驚きから立ち直ったのか、口を開く。
「それ、どうしたんだ?」
「や、女だったら良かったって言ったら……」
言いかけて、バッと口を抑えた。
「…昌浩の悩みって、それか?」
「う…まぁ、ちょっと違うけど」
そうは言いながらも、肯定する。
「一体、なんだってそんな事…」
言いながら昌浩の方を見た途端、物の怪は再度絶句した。
何故なら、昌浩の顔が真っ赤だったから。
「昌浩――」
声を発した次の瞬間、騰蛇が現れた。
「一体、どうしたんだ?」
聞いてくる騰蛇に、昌浩は顔を合わせられないで、逃げるように俯く。
途端、昌浩はふわりと抱き締められた。
「昌浩」
そして、優しく声をかけられる。
騰蛇の行動に、昌浩はふっと身体の力を抜いた。
「だ、だって……不安だったんだよ……」
小さく呟くように言う。
「紅蓮は男で、俺も男で……。俺が女だったほうが良かったんじゃないかって…」
昌浩は、ポツリポツリと続ける。
騰蛇は、そんな昌浩を見て、小さく笑う。
「なぁ、昌浩」
「うん……?」
「俺は、おまえが昌浩だから好きなんだ。
男でも、例え女だったとしても、俺が昌浩を好きなことには変わりがない」
言い聞かせるように言う騰蛇に、昌浩は更に頬を紅く染める。
それでもまだ不安だったのか、昌浩は恐る恐る問う。
「俺が嫌になったりしない?」
「しない」
「……ずっと?」
「あぁ」
「もっと、ずっと先も――?」
「当たり前だ」
力強い言葉に昌浩は安心したのか、昌浩は照れた様に笑い、自分を抱き締めている騰蛇に抱きついた。
「紅蓮、大好きだよ」
昌浩は頬を染めたまま微笑んだ。
「あぁ、俺もだ」
騰蛇は、それに微笑み返した。
不安でいっぱいだった昌浩の心の中は、幸せで満たされた。
そして、溜め息ばかり吐いていた口は、今は騰蛇のそれによって塞がれていた。
「なぁ、その格好似合ってるな」
「そうかな……?」
先程彰子にも似合うと言われたが、内心似合っていないだろうと思っていた昌浩は、騰蛇に誉められて複雑な心境だった。
女装を似合うって言われてもなぁ……。
「あぁ、似合うぞ」
「あ…ありがとう」
にこやかに言われて、昌浩は素直に返した。
好きな人に言われると、不本意でも喜ぶものらしい。
2007.03.移転に伴い一部修正しました。