「あ〜もう、なんでこんなに長引くんだよ!!」
絶対先生のせいだ、と悪態を吐く。
香はまだ小学生だが、親が共働きで滅多に帰ってこない為、この歳で既に家事をこなしている。
今日は買い物をしようと思っていたのだが、委員会が思ったよりも長引いてしまい、焦っていたのだ。
何故こんなに急いでいるかというと、別にセール品がなくなるからとかいう主婦じみた理由ではない。
香の母はあまり家にいないにも関わらず、日が沈む前に帰りなさいと言う、意外に厳しい人なのだ。
どうせ気付かないのだから、守らなくてもいいのではと思う者もいるだろう。
だが、香はちゃんと日が沈む前に帰る。
要するに、素直で良い子なのだ。
炊事、洗濯、掃除と、家事をきちんとこなしている時点で、小学生にしてはしっかりしているということもわかる。
そして、そのせいで香は急いでいるのであった。
「――?」
走っていた香はふと足を止め、振り返る。
何か、気配を感じたのだ。懐かしい気配を。
しかし、振り向いたその視線の先には、特に変わったところは何もない。
「気のせい、かな……?」
そう呟き、つい先程まで急いでいた事を思い出したのか、香はその場を走り去っていった。
香が去った後、その場には何も残らなかった。
かと思いきや、先程まで香が見ていた視線の先には、白い毛並みの猫とも兎ともいえない生き物がいた。
それは、十二神将の一人である騰蛇。その仮の姿である、物の怪だ。
香が去っていった方向を、無言で見つめている。
そうしてしばらく経つと、そっと溜め息を吐いた。
すると、それを見ていた者が口を開く。
「まったく、これで何度目だ?」
呆れたように言ったのは、同じく十二神将の一人である勾陳だった。
「まだ、いいんだ……」
物の怪は、その言葉に一瞬息を詰めると、弱く言い返す。
すると、勾陳はそれに水を注すかのように、ぴしゃりと言い放つ。
「誤魔化すな、騰蛇。そうやって会いに来るたびに、結局見ているだけじゃないか」
「……」
無言で目を伏せる物の怪に、勾陳はそっと問い掛ける。
「約束、したんだろう――?」
「あぁ……」
「なら、早く昌浩に会いに行ってやればいい」
「…そうだな」
弱々しい物の怪の声に、勾陳は溜め息を吐く。
恐い、か――。
それはそうだ。
今の昌浩は、昌浩であって昌浩ではない。
前世でした約束など、覚えてはいないだろう。
昌浩――あぁ、今は香だったか。
香に会いにいったところで、香には訳がわからないだろう。
騰蛇が物怖じするのも、わからないではないな。
「なぁ騰蛇」
「……なんだ、勾」
物の怪は、視線をやらないで応える。
「例え、今の昌浩がおまえの事を覚えていなくとも、それでも昌浩はおまえを忘れてはいないと思うのは、私だけか?」
「……否、そうであってほしいとは思う。だが……」
その続きは、口にされなかった。
だが、言葉にせずとも勾陳には伝わっていた。
もし、昌浩がわからないと言ったら――。
騰蛇が恐れているのはそれなのだと、勾陳も気付いていたのだ。
「騰蛇」
静かに呼び掛ける声に、物の怪は目で応える。
「約束は、果たせよ」
「わかっている」
重く響いた言葉に、物の怪はポツリと呟くように返したのだった。
日は既に沈み、辺りは闇に染まっていた。
なかなか香に会いに行こうとしない騰蛇に、痺れを切らした勾陳が、物の怪を強制的に香の元へ投げ捨てるのは、数年後の話――。
2007.03.移転に伴い一部修正しました。