夕日が、空を紅く染める時間帯。
六年間使いつづけている古びたランドセルを背負い、帰路についている香は走っていた。

「あ〜もう、なんでこんなに長引くんだよ!!」

絶対先生のせいだ、と悪態を吐く。
香はまだ小学生だが、親が共働きで滅多に帰ってこない為、この歳で既に家事をこなしている。
今日は買い物をしようと思っていたのだが、委員会が思ったよりも長引いてしまい、焦っていたのだ。
何故こんなに急いでいるかというと、別にセール品がなくなるからとかいう主婦じみた理由ではない。
香の母はあまり家にいないにも関わらず、日が沈む前に帰りなさいと言う、意外に厳しい人なのだ。
どうせ気付かないのだから、守らなくてもいいのではと思う者もいるだろう。
だが、香はちゃんと日が沈む前に帰る。
要するに、素直で良い子なのだ。
炊事、洗濯、掃除と、家事をきちんとこなしている時点で、小学生にしてはしっかりしているということもわかる。
そして、そのせいで香は急いでいるのであった。

「――?」

走っていた香はふと足を止め、振り返る。
何か、気配を感じたのだ。懐かしい気配を。
しかし、振り向いたその視線の先には、特に変わったところは何もない。

「気のせい、かな……?」

そう呟き、つい先程まで急いでいた事を思い出したのか、香はその場を走り去っていった。




香が去った後、その場には何も残らなかった。
かと思いきや、先程まで香が見ていた視線の先には、白い毛並みの猫とも兎ともいえない生き物がいた。
それは、十二神将の一人である騰蛇。その仮の姿である、物の怪だ。
香が去っていった方向を、無言で見つめている。
そうしてしばらく経つと、そっと溜め息を吐いた。
すると、それを見ていた者が口を開く。

「まったく、これで何度目だ?」

呆れたように言ったのは、同じく十二神将の一人である勾陳だった。

「まだ、いいんだ……」

物の怪は、その言葉に一瞬息を詰めると、弱く言い返す。
すると、勾陳はそれに水を注すかのように、ぴしゃりと言い放つ。

「誤魔化すな、騰蛇。そうやって会いに来るたびに、結局見ているだけじゃないか」
「……」

無言で目を伏せる物の怪に、勾陳はそっと問い掛ける。

「約束、したんだろう――?」
「あぁ……」
「なら、早く昌浩に会いに行ってやればいい」
「…そうだな」

弱々しい物の怪の声に、勾陳は溜め息を吐く。
恐い、か――。
それはそうだ。
今の昌浩は、昌浩であって昌浩ではない。
前世でした約束など、覚えてはいないだろう。
昌浩――あぁ、今は香だったか。
香に会いにいったところで、香には訳がわからないだろう。
騰蛇が物怖じするのも、わからないではないな。

「なぁ騰蛇」
「……なんだ、勾」

物の怪は、視線をやらないで応える。

「例え、今の昌浩がおまえの事を覚えていなくとも、それでも昌浩はおまえを忘れてはいないと思うのは、私だけか?」
「……否、そうであってほしいとは思う。だが……」

その続きは、口にされなかった。
だが、言葉にせずとも勾陳には伝わっていた。
もし、昌浩がわからないと言ったら――。
騰蛇が恐れているのはそれなのだと、勾陳も気付いていたのだ。

「騰蛇」

静かに呼び掛ける声に、物の怪は目で応える。

「約束は、果たせよ」
「わかっている」

重く響いた言葉に、物の怪はポツリと呟くように返したのだった。
日は既に沈み、辺りは闇に染まっていた。




なかなか香に会いに行こうとしない騰蛇に、痺れを切らした勾陳が、物の怪を強制的に香の元へ投げ捨てるのは、数年後の話――。




前サイトの拍手お礼小説第二弾。
本編のもっくんは明るい声で香に話し掛けてたから微妙に話があわないです……。
まぁ、投げ捨てられてから声をかける少しの間で覚悟を決めた、ということにしておいてください 笑

2007.03.移転に伴い一部修正しました。