「な…なんだぁ!?」
ふかふかのベッドの上で安眠していた物の怪は、目覚まし時計の音に目を覚ました。
その数秒後、物の怪の横からそろりと伸びた手が音を止める。
物の怪は、思わず手の主を見つめてしまう。
目覚し時計を止めた手の主である少年は、ベッドからのろのろと起き上がった。
「ふわぁぁ…眠い…」
欠伸をしながら、伸びをした。
「……香?」
ポツリと呟かれたその声に、少年はそちらを見て言う。
「あ、おはようもっくん。起きてたんだ?」
「…時計に起こされた」
物の怪は、不機嫌そうに返した。
その様を見た少年は、少し考えて言う。
「もしかして…目覚し時計に驚いた…とか?」
「……」
『無言の肯定』だろうか。
肯定と受け取った少年は、可笑しそうに笑う。
「あはは、もっくん可愛い」
「やかましい!ほら、起きるんだったらさっさと起きろ」
「はいはい」
物の怪に急かされ、少年は楽しそうに笑いながらベッドから離れた。
こんな朝は久しぶりだな…と思いながら――。
「もっくん、朝ごはん食べるよね?」
制服に着替えた少年は、料理を作りながら言う。
先程から香と呼ばれているこの少年は、安倍晴明の孫である昌浩の生まれ変わりである。
――ねぇ、紅蓮…約束だよ…。俺が生まれ変わるの、待っててね。
昌浩と騰蛇が死ぬ間際にした約束。
千年もの時を越え、二人は約束を果たしたのだ。
それは、つい昨日のこと。
香は手元も見ず、器用に調理しながら返事を待っている。
「あぁ、もらう」
香を見上げながら、物の怪は応えた。
「おまえ、料理なんかできるんだな」
物の怪は、向かいで食べている香に向かって言った。
テーブルに並んでいるのは、先程香が作っていたスクランブルエッグ。
それからトースト、サラダ、ミルクティーである。
三十分もかからないでそれを作り上げた香に、物の怪は驚いたのだ。
「あぁ…一応ね。なんていうか、作らざるをえなかったというか…」
苦笑しながら言う香に、物の怪は疑問を述べる。
「香…昨日から思っていたんだが、親はいないのか?」
「ん〜…いるよ、両親とも。仕事が忙しいらしくてあんま帰ってこないけど」
だから料理作れるようになったんだよね、と言った。
なかなか苦労してるんだなぁ、孫も。
「ほら、もっくん、早く食べないと置いてっちゃうよ。俺、学校あるんだから」
「……」
「もっくん?」
「あ、なんだ?」
物の怪は聞いていなかったのか、気付かなかったのか、聞き返した。
「だから、俺学校あるんだから早く食べてってば」
香にせかされた物の怪は、やっと朝食を食べ始めたのであった。
中学校の校門前。
そこには、登校途中の学生がたくさん歩いている。
その中には、もちろん香もいた。
その肩には物の怪もいるのだが、まぁそれが見える人間はいないであろう。
見鬼の才に恵まれた者でなければ――。
「安倍先輩、おはようございます!」
唐突に後ろから話しかけられた香は、振り向いてその声の主を確かめる。
「あ…藤原さん、おはよう」
香に挨拶をしたのは、少女だった。
二年生である香にとっては後輩である、一年生の藤原亜姫。
学校内でも可愛いと人気のある少女だった。
「先輩、こんな時間に来るなんて珍しいですね。
いつもはもっと早いのに」
「うん、ちょっとね。藤原さんも、いつもより遅いよね?」
「えぇ、まぁいろいろと……」
その光景を無言で見ていた物の怪は、ふとその少女に既視感を抱いた。
――何故だ?俺は、この少女に会ったことがあるのか…?
そんな疑問が物の怪の心の内に浮かんだ。
考えながら亜姫を見ると、信じられないことに目が合った。
亜姫は、物の怪をジッと見ると、香に向かい言う。
「先輩、これなんですか?」
「え…君、これが見えるの?」
香は、亜姫の問いに驚いて聞き返した。
「これ言うな」
「見えますよ。なんなんですか?この生き物」
物の怪の言葉は、あっさりと無視されていた。
「え〜っと、これはもっくんっていうんだけど…」
「だからこれ言うなって…」
言ってるだろ?っと続けられるはずだった言葉は遮られた。
学校に響き渡るチャイムによって……。
「あ、予鈴…」
亜姫は呟く。
説明しようとしていた香は、少し考えて口を開く。
「藤原さん、この話は後ででもいいかな?このままだと遅刻しちゃうし」
「はい、私も遅刻するのは困るので」
「じゃあ……昼休みに屋上でいいかな?」
「いいですよ」
「よし、決定。じゃあ、昼休みに!」
手短に話を終わらせると、二人は走り出す。
予鈴はもう鳴り終わっていた。
本鈴が鳴るまで後五分。
それまでに教室に辿り着かなければ鳴らない。
「こら、俺を無視するな、香」
という声は、無視するしかなかった。
昼休み。
屋上には、香と物の怪、亜姫しかいない。
「これは物の怪のもっくんっていうんだ。
俺の前世は昌浩っていうんだけど、その頃から一緒にいるらしいんだ」
「…らしい?」
「あぁ、香は昌浩のときの記憶がないからな。覚えているのは、死ぬ間際だけなんだ」
「うん、夢で見てたところだけね」
「へぇ〜そうなんだ…。じゃあもっくん、寂しいわね」
「そうでもないぞ、性格は結構そのまんまだから」
三人…否、二人と一匹は、結構楽し気に話していた。
「あ、そうだ。私は藤原亜姫っていうの。よろしくね、もっくん」
亜姫は、物の怪に向かって笑いかけた。
「…おう」
物の怪は、戸惑いながら言葉を返した。
「そういえば、藤原さんって妖とか見えるんだよね?もっくんが見えるんだから」
「あぁ、そうですね。あんまり気にしてないですけど…っていうか先輩!」
「へ、何!?」
香は、亜姫の勢いにビックリしながら言う。
「同じ視える者同士なんですから、これからは亜姫って呼んでください」
「……いや、そう言われても」
「呼んでください」
「……。はひ」
強く言われて、香は承諾せざるを得なかった。
こんな展開を繰り広げる二人に、目を白黒させながら見ていた物の怪は、一人納得していた。
なぜ既視感を抱いたのかわかった……。
亜姫は、藤原彰子の生まれ変わりだ。
見鬼の才といい、香への態度といい、そっくりそのままだ。
なにより、魂のカタチが同じなのだから。
「じゃあ亜姫も、香でいいよ。敬語もいらないし」
「え、いいの?嬉しい。私、実は敬語って苦手なの」
仲良く話し続けている二人を見て、物の怪はつと目を細める。
なぜ気づかなかったのか。
それが不思議なほど、この二人は自然だった。
昌浩と彰子が遠い昔にいたように。
「ねぇもっくん、人の話聞いてる?」
ふいに話しかけられた。香の声だ。
「聞いてるぞ。っというか、もっくん言うな、孫」
「孫言うな!もっくんだって物の怪じゃないか」
「だから、俺は物の怪じゃない!」
香と物の怪の言いあいは、続く。
まるで、千年前と同じように――。
2007.03.移転に伴い一部修正しました。