露樹の手伝いをしていた彰子に、昌浩は言った。
「昌浩…。もうちょっと待てくれるかしら?もうすぐ終わると思うから」
手を止めて言う彰子に、露樹は言う。
「ここは大丈夫ですから、いっていらっしゃいな」
「露樹様…でも…」
「大丈夫ですよ」
優しくにこやかに言う露樹に、昌浩は嬉しそうに言う。
「ありがとう母上。彰子、行こう?」
「えぇ…。露樹様、ありがとうございます」
露樹に向かい礼を言うと、彰子は昌浩に連れられ、その場を去った。
「昌浩、どこに行くの?」
彰子は昌浩に着いて行く。
「着いてからのお楽しみだよ」
そう言いながら、昌浩は歩き続ける。
どこに行くのかしらと思いながらも、機嫌の良い昌浩の後を歩いていた。
歩き始めてから少し経って、声がした。
「お、きたきた。こっちだこっち」
その声の主は物の怪だった。
物の怪がいる場所。
そこには――。
「うわぁ…きれい…」
彰子は感嘆の声をあげた。
安倍邸の庭。
そこには、誇らしげに咲き誇る、満開の桜があったのだ。
一本だけの、桜の樹。
それは、余所で見る多くの並んでいる桜よりも、殊更に美しく思える。
「きれいだろう?昨日はまだ蕾が多かったんだけど、今日咲いたみたいなんだ。
彰子も見たいかと思ってさ」
「ありがとう。嬉しいわ、昌浩」
本当に嬉しそうに言う彰子を見て、昌浩の顔はほんのりと赤くなった。
「……春だねぇ〜」
物の怪は二人を見て、聞こえないようにポツリと呟いた。
そして、良い雰囲気の彰子と昌浩を残して、その場を去った。
「俺、昔からこの桜が好きなんだよね」
「そうなの?」
「うん、だから彰子にも見せたいなぁって前から思ってたんだ」
二人は桜を見上げながら、話し続ける。
物の怪がいなくなっていることにすら、気付いていないのかもしれない。
「また、来年も見れるかしら…」
ポツリと呟いた彰子に、昌浩は返す。
「また、一緒に見ようか」
その言葉に、彰子はパッと顔を輝かせる。
「本当?」
「うん、来年も一緒に見よう」
「じゃあ、約束よ」
そう言って、小指を差し出す。
「うん、約束」
それに応え、昌浩も小指を差し出した。
そして二人は微笑みあい、小指を絡め指切りをした。
また来年の春も一緒に。
そう言って指切りをした。
桜は、そんな二人を微笑ましく見ていた。
優しく穏やかな風に、緩やかに身を揺らしながら――。
2007.03.移転に伴い一部修正しました。